「これは……うーん、頼むのもどうかと悩んでいたのですか、どうしても、微糖命さんが適任かと思いまして。」
その日、鶴葉は同期のVtuberに頭を下げていた。相手は微糖命、調味料系Vtuberとしてその名をとどろかせ始めている。
「鶴葉さんのお願いならいくらでも聞きますって、どんな相手ですか?」
「将棋のAI、が関わっているみたいです。」
「ははぁーん、それじゃ私が適任ですわな。」
「ですが……その、どうやら属性が水、らしくて。」
「……Oh、それはまた、難儀な。」
「兄の見立てなのでほぼ100%確実と言わざるを得ないのですが、私の周りでは案外将棋をやっていらっしゃる方がいないので、頼めるのは微糖命さんが一番かと。」
「あれ、鶴葉さんも?」
「すみません、私はチェスはやりますが将棋はほとんど……。それに、今回は将棋というだけではなく、将棋のAIという点が気になっているんです。」
「なるほど、それじゃYoutube上の配信で将棋のAIと戦った経験があるのは私だけですね。」
微糖命が将棋トレーニングというゲームの実況を行ったことをたまたま覚えていた鶴葉だったが、兄の報告にあった簡易属性診断から、「塩」である微糖命に頼むのを迷っていた。鶴葉自身も水には弱いために同行しても力になれないことが多いこともまた、彼女の気を揉む結果につながるが、それを押してでも微糖命に頼まなければならない理由があった。
「あくまでここの仕事はYoutubeのバグ取り、さらにはAIの暴走に対する初動にも関わってくることになります。ですから、純粋な敵の特性よりも、戦い慣れ、経験があるとより確実性が増すのではというのが、山伏の総意ですね。」
「なるほど……。」
対峙するAI、それはおおよそゲームの中のNPCや敵対PCが素体になることが多い。それを知ったうえで、鶴葉は微糖命に頼んでいた。たとえ「水」という「塩」に対して絶対的なアドバンテージを持つ属性であったとしても、だ。
「もし、心配であれば私の金麦の妖精さんにも同行をお願いしようかと思っていますが、いかがしましょうか?」
「そこまでしてもらわなくても大丈夫っすよ。」
何の迷いもなく、微糖命は鶴葉が差し出す紙のように見えるファイルにサインを書いた。
「いや、さすがです、微糖命さん。即決即行動、これも筋肉が成せる業ですね、憧れますねぇ。」
「鶴葉さん、最後のほうの心、どこに置いてきたの、ねぇ。」
「憧れはしますよ、欲しいとは思いませんけど。」
「えぇ……どういうことぉ?」
「へへっ、まぁまぁ。それでは、改めて。こちらの依頼、無事に完遂をお願いいたします。」
「了解。任せてください。」
その背中を見送った鶴葉はふ、と息をつきそっと机の上に置いてあった折鶴を手に取る。その小さな鶴をそっと手のひらの上で揺らすと、彼女の胸元にある輪がひとつ、鈍い音を発した。ほどなくして折鶴はまるで命を得たかのようにふわりと鶴葉の手から飛び立っていく。
「何も無いといいのですが、一応、ね?」
折鶴はゆらりゆらりと羽を舞わせ、先に移動をしていた微糖命を見つけその体に同化するように姿を消す。当の微糖命は気にせずに、鶴葉から預かったファイルに書かれた目的地へと進んでいた。ほどなくして最初の痕跡の位置にたどり着いて、そっと辺りを見回す。
「碁盤、いや、将棋盤、か?」
ヴァーチャルの世界とは言え、その景色は各々が任務に集中できるように細工が施されていることが多いものの、踏み入れた場所は、なぜか殺風景なマス目の床が広がっていた。すでにAIの侵食が始まっている、もしくは元々こう言った様相の場所なのか。それを確かめようとファイルを開きかけたその時、微糖命を強い衝撃が襲った。
「なっ、……!?」
微糖命を襲ったのは、床のマスを創る「ライン」からの攻撃だった。それに気付いたのは、微糖命の足元から駆け上がった電気のような衝撃があったからだ。つまり、敵は水属性でもなんでもない。電気を操りこのマスの世界に立ち上がった物を何であろうと意のままに操っていた。
「鶴葉さんの判断、強ち間違ってなくてよかったよかった。」
微糖命にとってそれはただの「衝撃」でしかなかった。塩の調味料たる微糖命にとって電気は無効に近い。断続的に流れ続ける衝撃を諸共せずに立ち上がり、微糖命はちらりと見えた影に向かって右脚に強く力を入れた。飛び出した身体を器用に捩じり、振り上げた右の拳を叩きつければ、そこには確かな感触があった。
「よし、殴れんなら大丈夫。」
殴りつけた右手はそのままに、得体のしれない影の一番細い部分を目ざとく見つけた左手がその影をつかみ上げて力のままに投げ上げた。僅かに動揺した様子まで認めた微糖命は踏み込んだ左足にさらに力を籠め、高く飛び上がる。右足を上から振り抜いて、その体を簡単に将棋盤に叩きつけた。
「っしゃ、よしよし、上出来、んでもって、水属性とやらは……。」
問題なく盤の上に着地をした微糖命の目の間で、影は徐々に形を変え始め、それは見たことのある人の形に変わった。
「……マジか。」
具体的な人の顔までの再現は不可能なのか、それともただ敢えてしないだけなのか。それを知る由はないが、その姿形を忘れるはずもない。ぼろぼろに破れた羽織には竜王という文字が辛うじて読めた。刹那、微糖命を襲ったのは文字通り冷水を浴びせられたかのような痛みだった。
「っが、あぁ、あぁぁぁ!?!?」
水属性、その言葉を忘れたわけではなかったが、電気というものに意識が傾いていたのは事実だった。まっすぐに飛んできた水泡をまともに食らった微糖命は徐々に自我が溶け出そうとしているのが分かった。そして、この状況がさらに地獄へと叩き落すこともよく分かっていた。なんとか力を込めた両の足で盤を蹴ろうとした。しかし、その判断を上回るスピードでそれは走り抜けていった。盤上を走る電気が、水に濡らされた微糖命の体を蝕む。
「くそ、……な、んで、あん、たが……っ、ぐ、ぅ……こんな、こん、……な、ぁっ!」
溶け出す体を如何ともせずに、ただ、見下ろしてくるその影が恐ろしく思えた。感情のない瞳、そもそも瞳がどこかも分からずに、近寄り見下ろすその体を伸ばした両腕で掴むのが精いっぱいだった。断続的に流れ続ける電流の痛みをこらえながら、ゲームの中とは言え自分の「師匠」でもあったその小さな体をつかんだ。
「信じ、たく……なかった……だれか、だれ、か、別の誰か、でも、よかったはず……なのに、どうして、あんたが、ぁ……っ!」
その言葉聞かずして、影は微糖命を蹴り飛ばす。否、その行為はまとわりつく何かを振りほどく仕草とよく似ていた。盤から投げ出され、僅かに宙に浮いた体が再び叩きつけられるその時だった。
その体を強い炎が包み込んだ。
「……ほの、お?」
電流が走る盤面に叩きつけられた体が、衝撃で発火し、微糖命の自我が徐々に固まりつつあった。発火の作用で水分が蒸発し、再び一つの結晶へと成ろうとしていたのだ。
それは流れる電気の作用も相まってより強くなる一方で、影に飛ばされた体が、一つ、また一つと動きを軽くした。
「分かった、あんたも拳で分からせれば良いってことですよね。」
ぐっと握りしめた拳が影にのめりこんだのと、その言葉が発せられたのはほぼ同時だった。赤く揺れる体には、もう炎も水も電気もありはしない。ただそこにあるのは強い力、それだけだった。影はそっと逃げ出そうとゆらりと移動を始めるものの、その行先は全て微糖命に止められている。
「竜王……思い出しましたよ、そうだよな、タイトルだけじゃないって。その文字は、飛車の裏側、ってことはこの盤上においては、縦方向と横方向にしか動けない、あとは……。」
その拳を叩きつけるだけ。自身の体を削って「結晶」を右の拳に隠し持つ。左腕で影を羽交い締めにした微糖命はただ一言、そっとつぶやいた。
「頼むから……今度はちゃんと将棋、しましょうね。」
入れ込んだ右の拳を開く。
「……浄化結晶(スピードスター)」
*
「おかえりなさい、微糖命さん。」
「ありがとうございます、鶴葉さん。なんとか、やってきました。」
「えぇ、信じていましたよ、さすがは微糖命さん。」
「……いえ、実は、その。」
「結果良ければ全てよし、ですよ。」
任務の報告に戻れば、鶴葉は笑顔で微糖命を迎え入れた。僅かに自分の失態を恥じる様子を見せる微糖命に、彼女は首を振って言葉を続ける。
「難しい任務……いえ、辛い任務に、なりましたね。」
「まるで見ていたかのように、言いますね。」
「それは、そうですよ。依頼した任務はしっかりとアフターケアまでするのが山伏ですからね。」
「ん……?まぁ、いっか。今回はご依頼、ありがとうございました。またいつでも声、かけてくださいね。」
「はい、助かります。これからもじゃんじゃんお願いしちゃいますね。」
契約終了のサインを交わしてから、微糖命はその机の上に焼け焦げた折鶴が置いてあるのを見つけた。不思議に思いながらも気にすることでもないかとその場をあとにしながら、ふと考えた。
「あれは、もしかして……。」
思い当たる節に仕方ないと言わんばかりに頭を掻きながら、携帯端末を取り出した。
『今度一杯奢らせてくださいね。』
微糖命さん【@vitolife03 】
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