私は音が無い状態がそこはかとなく苦手です。
こう言うと「じゃあパチ屋でも行ってろ」って情緒ない事を言い出すのが一定数居ますが、ノイズとサウンドの違いはぜひ理解して欲しいところです。
誰もいない部屋の中でそれとなく流れるクラシック、気の置けない友人と楽しむ空間でふと耳に飛び込むジャズ。
これらの重要性を分かっている人が、今どれほどいるのでしょうか。
1人の空間に満ちる好きなリズムと音、複数人の空間にひっそりと在る会話と会話を繋ぐ音、日常生活においてはそう言った音に私はとても居心地の良さを感じます。
では、配信や動画はいかがでしょうか。
今や誰でも配信者になれる時代。
様々な配信や動画が溢れYouTubeもその管理にAIを導入して対応するようになっています。
そんな中で私もこうして動画を投稿したり配信をし始めました。
「絶対に音は絶やさない」という強い気持ちを持って毎回ゲームと向き合うと、視聴者の自分と約束しました。
元々話すことは苦手ではないですし、話を絶やさずにあれこれと話題を振ってしまえば存外難しいことではありません。
自分で選んだBGMに乗りながら、ここで一息と敢えて作る「間」であったり、ここは捲し立てても大丈夫という判断であったり。
そういうものを、実際に配信のアーカイブや動画などを見直して修正しました。
おかげさまでどの動画も配信も、自分で視聴する際に「緊張している自分を見る恥ずかしさ」以外で苦痛を感じないものとなっています。
だからこそ、コラボがすごく怖い。
「自枠で黙々とゲームをする配信者」
「ゲーム実況動画で意図しない沈黙がある動画投稿者」
「雑談配信とは名ばかりのコメントを読むだけの配信者」
「沈黙」に対してある一定度合いのアレルギーを持つ方ではない限り、私が永遠と話すようなことになってしまってはコラボではありませんよね?
それは私がホストとなって、コラボ相手の方をゲストとしてお迎えして、その人に気持ちよく喋ってもらおうという企画です。
それは……コラボでは、ないですよね?(二度目)
これに関してはお相手が悪いわけではないんです。私との「沈黙」アレルギーの度合いの差です。
では、どのコラボが一番安心するのか。
金麦の妖精さんとの配信です。
彼らは私が生み出したイマジナリーフレンドです、とよく言います。かつ、「鶴葉さんと金麦の妖精さん」という表現を意図して使っています。
彼らとて、配信裏で毎度毎度あんなにペラペラと口を動かしているわけではないのです。
それでもワードウルフの際に私がお題を配布するタイミング。
冗談交じりで「じゃあ繋いでおいてくださいね〜」なんて言うと「鶴葉さんを褒める時間にしますね」という投げ方をしてくれます。
何が良いかと言うと私が作業しながら反応しやすいもの、だったんです。
これを彼らが意図してやったかどうかはともかく、「そういった行動を」「自主的に」「こちらからのフリを受け取ってから」できるんです。
ね、良い友人でしょう?
ゲームが上手い人はゲームに集中してもなんら問題はありません。
顔がいい人はそこに在るだけで画面映えするでしょう。
声がいい人は一言二言の発言で人々を満足させられる。
「最近の個人Vtuberは個性が足りない」
当たり前じゃないですか。
そんなに個性の突出した人社会にごまんといたら怖いです、私ならそんな社会から逃げ出します。
やっているゲームや歌ってみる歌、踊ってみる楽曲が被れども、それをやることが楽しくてそこにいるんです、彼ら、私たちは。
だからこそ差別化を図りたい。
それは動画の編集であったり配信の空気感であったり。
ね、だから私はその空気感を共有できる人とだけコラボをしたいんです。
相手が無言で黙々と何かをしていて、私が馬鹿みたいに騒ぐだけのその配信を、コラボとは呼びたくないと思います。
……と、6時間30分55秒の配信のアーカイブを見ながら思いました。
私の切り抜きをフル字幕にするのは相当厳しいものがありそうですね、てへぺろ。
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