山伏夢SS
時空は全部違います。
【ものおもいくまさん】
夕方の買い物を終えてゆらゆらと歩く。この後、一人ずつ彼女の息子や娘達がやってくる。二人きりでこうして過ごすのは年内では最後ということだ。
「やぁ、お買い物付き合ってくれてありがとうねえ。」
いえいえ、当然のことですよと言えば、そっかぁとからからと笑う。思う以上の時間を背負うその身を慮り、持たせたままにしていたエコバッグを受け取る。ちらりと視線があったが、特に何を言うでもなく任せてくれた。
「今日は寒いけど、夕日が綺麗だねぇ……。」
ぽつりと呟かれた言葉が意識を空に向ける。今年の年末は最強寒波で、雪も降ると言われていた。しかしそれに反して、大晦日の今日は晴れ渡っていた。この暗い世の中で、もう一度空を見上げてみようと顔を上げさせてくれるかのような、そんな蒼く高い空だった。だから、夕焼けのこの時間はよく映えた。
「今年は辛いことも多くて、意図しない別れも多かったけど、それでも……さ。」
その言葉の続きは、きっと何度も何度も彼女の心の中で繰り返されていた。七百年という間、何があっても生き続けたその命が、繰り返した結論だ。
「それでも、陽はまた昇るって。明日も、ご飯が美味しいって。」
夕焼けに照らされた顔が、本当にただ美しく思えた。
【おつかれおにさん】
「大丈夫?」
少し席を外して戻ると、そこには机に突っ伏して寝る彼女の姿があった。そっと揺すってみると、閉じられていた瞳がゆっくりと瞬き、紫紺がきらりと輝いた。
「ん、ぁ……?あぁ、寝てた……。」
ぽわっとした声で、目を擦りながら、くわっと一つ欠伸を落とす。はふっと息を吐いた彼女は自分を見てふふと笑った。
「なんかさぁ、安心しちゃって。」
「安心?」
「うん、美味しいご飯と暖かいおうち。私は……ひとりじゃないって思わせてくれるこの空間が、好きだ。」
おくりだす恐怖を、何度も何度も越えてきた彼女にとっては無くなることは何よりも痛みになるのだろう。
「どこにも、行かない?」
少し潤んだ瞳が問い掛ける。
伸ばした手で、細く冷たい手を握る。
そのまま体をぎゅっと抱きしめた。
【いつものこいさん】
「っつあぁー!負けた!」
「おけ、カバーするよ。」
今年はお互いに会うのはやめた。
そういうご時世だし仕方が無いよね、とちょっと寂しいながらも増えていく数字には自分も彼も口を噤むしか無かった。
「あぁー!惜しかった!」
「いや、でも撃ち合い強くなったよ、すごい。」
「ほんとー?へへ、灰鯉くんのおかげだねぇ。」
「まぁね。」
「うわ、うざ。」
けたけたと笑うと、通話の向こうからも少し控えめな笑い声が聞こえてくる。この瞬間が、この声が、とても愛おしく思えた。
「来年は、会えるといいね。」
「あぁ。」
「私は、結構寂しいんだよ。」
「僕も寂しい。」
「だよね………ん!?」
「……なんだよ。」
「照れてる!?」
そう言うと、遠慮なく通話を切られてしまった。程なくしてまた掛かってきて、笑ってしまう。
「来年は、きっと。」
その言葉が何よりもの希望だ。
【ほろよいつるさん】
「金麦が美味しい。」
「いつものことだな。」
そう一蹴すればやっぱりー、とへらへら笑う声が返ってきた。取り上げようかと思ったけれども、カレンダーの赤い数字を見て、ふとため息をつく。
「今年は、嫌な年でしたね。」
「そうだな。」
「私も、流石にこたえましたねぇ。」
「みたいだな。」
「でも……まぁ、悪くはなかった、ですよ。頑張った、頑張れた、すごい!」
いつも自分は顔だけとか声だけとか言うけれども、前を向いて顔を上げる才能こそが彼女の魅力だと思う。
「貴方も、よく頑張りました。よくこの私に付き合ってくれています、褒めてあげましょう。そして来年も傍で私を支える栄誉を与えましょう。」
「あぁ、微妙なやつ。」
「何でですか!?世界でたった一人、許された人間だというのに!?」
そのポジディブはちょっと、と言えばむくれる。そして、すっと表情が柔らかくなる。優しくて、とても恐ろしい笑顔だ。
「あぁ、それなら……貴方の火葬の火を、私が担当する方が、いいですか?」
酔っているなぁ、と青い缶を取り上げて唇を奪った。
【あまえんぼへびさん】
どうしても、ごめんなさい、と余裕の無い声が聞こえて飛び出した。寒い夜を駆け抜けていけば、綺麗とは言い難い川に掛かる橋の上に彼女は居た。
「……ごめんなさい。」
いつもは少し小馬鹿にしたような、それでいてどこか浮ついた言葉と声が今日は無い。暗く沈んだその声は、謝罪の言葉を乗せてなお、上がろうとする色がなかった。
「大丈夫。連絡してくれて、ありがとう。寒くない?」
「……えぇ。」
「マフラー、使って。」
「いいんですか……?」
「見てて寒そう。」
「ふはっ……そこは心配とか、言ってくれてもよくないですかぁ?」
少しだけいつもの色が戻る。
「少し、歩きませんか?」
「あぁ。」
「雪、降らなかったですね。」
「そうだなぁ。」
「今日くらい降っても良かったかなぁ。」
「寒いし、雪掻き面倒でしょ。」
「ほんと、そういうところ……情緒ありませんねぇ、貴方。」
「情緒で傷付いていたら元も子も無い。」
ふ、と足が止まる。
「もうちょっと楽しく生きたら?」
「それが出来たら苦労してないし、何より……甘えさせてくれてもいいじゃないですか。」
「……おう。」
振り返った瞳が睨む。うっすらと赤みが掛かった頬と目尻が責める。
「家、行く?」
「……。」
黙って差し出された手を握り、少し優しく引く。氷を溶かすように、そっと背をさすれば強ばっている体から力が抜ける。まだ年は明けない。
【おとこまえたぬきさん】
「ただいまぁ。」
「おかえりなさい。」
あれ、起きてたんです?とすっとぼける可愛い顔をむにっと手で挟む。
「冷たいね。」
「まぁ、そりゃ……仕事帰りで、外居ましたからね。」
「部屋、温めてありますよ。ね、日本酒、あけましょ。」
「はは、それ目当てでしょう。」
「でもちゃんとおつまみ作ってあるから!」
手を引いて暖かい部屋に案内すれば、その体がふわっと暖かくなる。こういうところは、人じゃないんだなって改めて気付かされる。
「あ、さては先に飲んでたな?」
「いやちや、でもね、ほら、まだまだ私も飲み足りないから。」
「あーもう、結構大事なやつ、残しておいたのに!」
「ごめんて!」
ぺこぺこ頭を下げながら、許しをこえばぐっと手を引かれる。
「ほえ?」
「悪いことする子は食べちゃうぞーがおー。」
ぐっと引かれて囁かれてしまえば、そりゃ誰だって言葉につまる。
「じゃ、照れ顔肴に飲みますか。」
「いやぁ、性悪しょたぬき!!!」
今年も来年も楽しくなりそうだと、息を吐いた。閉じた長針が少しズレた。
良いお年を。
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