ソーシャルディスタンスって、どういう意味が知っていますか?
社会的距離って意味なんですって。
「ふーん、社会的距離ね」みたいに納得しちゃうような人はとっても幸せな人生を歩んできたと思うのでぜひその感性は大事にしてください。
ところがどっこい「は?」ってなる一部精神がねじ曲がった諸君、私も同じです。
そもそも。
誰かのソーシャルディスタンスを守ろうとすれば誰かのソーシャルディスタンスを侵すことが起こりうる。
そんな経験をしたことがある人、したことがあるけど知らないうちにやっている人、したことがない人、様々なカテゴリーに分けられると思いますが、まぁ、落ち着いて。
全員考え直す時が来ましたよ。
それは先日私が経験した具体例から考察を広げていただきたいのです。
その日、私は壊れたメガネを直しに大型ショッピングモールに出向きました。
なんて言ったって緊急事態宣言が全国的に解除され、さらに徐々にお店がオープンを決断し始めた。
住まいの前でなわとびしたり、近くのスーパーに買い物をするだけで済ませていた私です、少しくらいこのタイミングで出てもおそらくは怒られないし、そもそも、だって、メガネを直しに行くんですから。
そんな中、「あ、ついでにコーヒー豆買って帰りましょう」なんて思わなければ良かったんです。
私はビール狂いに見えますが、一応コーヒーにも多少造詣(ぞうけい)が深くて、閑話休題。
メガネも直してもらいルンルン気分で、某オシャレな感じの輸入雑貨屋さんをちらちらと物色。
今考えれば「コーヒー豆だけ買いに来たんだからそれだけ買って帰れ」とか言われてしまいそうだなと反省はしています。
左側から強い衝撃(物理)を受けました。
棚が沢山あって上から下まで食品や雑貨の並ぶ狭い店で、突き飛ばされて。
痛みより何より、まず、ショックが私を襲いました。
何事かと周囲の人々が見る中、私を突き飛ばした人は、文字通り「肩肘を張った状態」で他の人をも牽制しています。
そこで気付いたんです。
もしかして、私が意味もなくその辺を物色していることが、その人の行く手を阻んでしまったのかもしれない、と。
しかしこれについては私側の言い分もあります。
私が商品を見ている際に、左側から別のお客さんが現れました。
このご時世、ソーシャルディスタンスがぁと気にしすぎるのも良くないと思いましたが、トラブルになっては大変だと。
なので進路を少し右にズラして歩き始めました、なんと言っても右側にはワインとシャンパンのコーナーもありましたから。
一歩二歩と歩みを進めたその時、左後ろからどんという衝撃を感じてよろめき、近くのダンボールにつんのめって転がる私。
訳が分からず振り向けば、肩肘を張った人、そして悲鳴を上げるのはさきほど私がソーシャルディスタンスを取った左側の人。
私はただソーシャルディスタンスを守ろうとしただけなのに、と。
大丈夫ですか、と駆け寄る人は誰もおらず、私は慌てて崩してしまったダンボール内の商品を片付けようとしますが、パニックで上手く行きません。
「お客様、大丈夫ですか?」という店員さんが現れたのはその肩肘さんが居なくなってしばらくしてからでした。
すみません、商品、崩しちゃって、と何とか言えたか……言えてないかもしれませんが、そういう旨の言葉をぽろぽろと零し、痛みと不安からぽろぽろ別の何かも零れそうでした。零しませんでしたけど。
最近、その店ではよくこう言った衝突があるそうで、ものすごく謝ってもらったのですが、いや店員さん何も悪くないし、私がこのダンボール崩しちゃって……あの、これ、今日のおつまみにしますね、と床に落ちていた袋を1つご購入という運びになりました。
結論、後方確認不注意が原因ではありますが、では1つ。
私は左側の人から距離をとるために移動、そしてその後左後ろから突き飛ばされる、というのが一連の流れです。
……いやいや。
私のソーシャルディスタンス is どこです?
こうなってしまってはもうダメです。
誰かのソーシャルディスタンスを守ろうとして移動して、それは別の誰かのソーシャルディスタンスを犯していて、そのどちらにおいても考えている本人のソーシャルディスタンスは、本人すら意識から消えてなくなるんです。
あぁ、私、やっぱりこの世界にいちゃいけない……消えてなくなりたい……。
これ、似たような事象が創作界隈でも頻繁に起きているように思います。
誰かの作品に似たものが出来上がってしまい、それを回避するように手を加えれば、別の誰かの作品に似る。
似ている似ている、という言葉は時に毒になるのだとそういう話もありますが、せっかくのスポットライトが白ではなく多色混合の汚いものになってしまう。
誰とも距離を詰めず、誰とも関わりを持たない、そんな心持ちになります。
私は存在してもいいのでしょうか。
なーんて、ね。
今一度、考えてみませんか?
ソーシャルディスタンス、社会的距離。
自粛警察、差別。
病んだ人々が病んだ人々を傷付ける社会を、もう見て見ぬフリでは叶わない。
死してなお痛む体を擦りながら食べたレーズンの味は少し違うものに感じました。
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