私の活動はなにか意味を生んでいるだろうか?
そう自問自答したのは4月のことでした。
悲しい事が多くあり、ままならないことも多くあり、大好きな季節にどうしてこんなことを考えているのだろうとジメジメした気持ちを抱えていた頃でした。
それでも自分の事を見返すのが怖くて、いや、69のババアが何をという情けなさはありますが。とにかく振り返るのが怖くて、ただひたすらに同じようなことを繰り返す日々でした。
最初の頃はそりゃ勢いもあったし、「前だけ見ていればいい」という感覚がありました。だって振り返る後ろが無いから。
しかし前に進めば進むほど後ろには足跡が残ります。
それが、何より怖かった。
あれこれ手を出してみました。
慣れないことにもチャレンジしました。
どれも楽しいしどれも刺激的でした。
でも、ある日突然、充足感が無くなった。
本当にこれでいいのか?
本当にこのレベルでいいのか?
本当にこれが世に出していいものか?
その作品に意味はあるのか?
怖くて怖くて、目の前が真っ暗になるような心地でした。
もちろん今でもその恐怖には脅えています。深淵を覗く時、深淵もまた貴方を覗いている。
恐怖は常に傍に在る。
閑話休題。
それを払拭できたのは、外気がジメジメしてきた頃でした。
まるで自分の陰鬱な考えが反映されているかのような空模様にげんなりしながら、室内干しのバスタオルを振っていた時でした。
活動内容に意味があるんじゃない。
活動に意味があるんだ。
やること成すことに意味を見出すのは練度が上がってからでもいい、そう言っていたあの頃の自分が金麦片手に笑った気がしました。
数が何だ、質が何だ、やりたいことだけやっていればいい、それが許される場所なのだから。
こうなった私は強いんです。
今までの記録を全部見返します。
できること。
できないこと。
やったほうがいいこと。
やらなくてもいいこと。
私は無意味なことは嫌いです。
無価値なのも許し難いです。
であれば、意味を、価値を、提示すればいい。無いなら作れ、そうやって紡いできた文章があったんです。
いつか「あの時は全力だったね」と笑って貰えるように、そして「でも今はもっと全力だね」ともう一度背中を押して貰えるように、私はもう一度意味と価値を貼っていきます。
そういえば、もうすぐ夏ですね。
0コメント