筆記のノートを取ることなど、久しくなかったと思う。それでも今日、この日に筆を取らなければならないと思った。興奮冷めやらぬ夜、ホテル「ロンド・ロゼ」の一室で私は一人机の前に座っている。
祝賀会などというものではないが、ささやかなパーティが元チャンピオンダンデさん主催で行われている最中からずっと頭の片隅にあったことを書き留めておきたかった。
無音が苦手故につけっぱなしになっていたテレビからは私がチャンピオンになったこと、それとほぼ同じ割合で「彼」の話題が上がっていた。
ローズ元委員長。元々はこのガラルの経済をほぼ握っていたにも等しい彼は、今や犯罪者だ。光と闇、そんな言葉が脳裏を過ぎって寒気すら覚えた。今もボックスの中にいる、「奴」が私を睨んでいる気がした。
「書き出しは、ガラルの未来。」
彼は決してガラルを、この島を侵そうとしていた訳ではなかった。事実、ジムチャレンジの最中では無かったし、ダイマックスの光の柱が立ち上がった時はスタジアムに人は居なかった。死亡者はおろか後遺症の残るような重傷者もいない。もちろん軽傷者は居た、それをこの島の人は犠牲と言うのだろうか。
「あの時……ホップはローズさんに負かされてパニックだったから、あの話を聞いたのは私だけなのかもしれない。」
キバナさんに背中を押され、オリーヴさんに懇願されて向かったナックルジムの下にあったあのエネルギープラントのような実験施設。崩壊も近いというのはオリーヴさんの言葉だったけれども、確かにあの施設は崩壊寸前だった。私はそういう建築とか物理とかに詳しい訳ではないけれど、直感的にダイマックスは避けた。それでも。
「ローズさん、迷いなくダイマックス切ってた……。崩れても構わない、そのためなら私もホップも……いや、でも、違う、私に……。」
負かして欲しかった?競り上がる恐怖心に、感情が溢れた。ホップをボコボコに、それこそ私が来る前にやったのも、私を煽るためだったとしたら?ボロボロと溢れ落ちる感情が開いたノートを滲ませた。
「見えないよ、ローズさん……。」
貴方の見ていた未来、1000年後のガラルだなんて想像もつかない。早まったことを、ではない。あまりにもその目が遠くを見過ぎていた。私はチャンピオンになって自分の足元すら見えていないのに、そんなずっと先のことを見るなんて到底。
「あぁ……怖い……。」
ダンデさんが作り上げた過去が、私の未来になる。否、しなければならない。次のジムチャレンジで、ジムリーダーもチャレンジャーも蹴落とさなければならない。ガラルのエネルギー問題なんて、何処にも見えてこなかった。
すると、こんこん、と軽いノック音がテレビの音を遮る。
「チャンピオン。」
あぁ、お願い。
どうか、名前を呼んで。
*
「たずは、今度の週末のことなんだけど、空いてるか?」
「クリーンエネルギー周知のためのイベントで、チャンピオンへのエキシビションマッチ参加要請が来てるよ。」
「そっか、ならそこで会えるな。」
「……わざわざ私に確認を取らなくても、知ってたでしょうに。」
「お前の言葉で聞きたかったんだ。」
スマホロトムから聞こえるライバルの声に乾いた笑いが零れる。変な人、と思いながらもその優しさと気遣いに何度救われてきたことか。
「ねぇ、ホップ。」
「なんだ?」
最近我がライバルはちょっと意地が悪くなってきた。なんでだろう、前までは事ある毎にワンパチの様に付き纏ってきていたのに最近はそういうことが全くなくなった。
「……。」
「用が無いんなら切るぞ?」
ほらこうやって、それとなく、こちらから言葉を引き出そうとする。今までならどうした、何があった、調子悪いのか、と言葉が続く。または何も知らずに自分の用事が終わったらさくっと電話を切る。それなのにこの幼馴染み、とうとう駆け引きとかいうのを覚え始めた。
「……嫌い。」
「ははっ、今度顔合わせた時に嫌ってほど言わせてやるからな!」
けたけたと笑う声につられて笑って、じゃあ週末に、と通話を切った。
ダイマックスエネルギー以外のクリーンエネルギーへの研究は不思議なほど順調に進んでいる。その名の通り、長期持続可能で研究過程も透明性が高い。というか、元チャンピオンに理解させるために説明が簡易なものとなっていた。
喜ばしいのか、いや、研究者達にとってはとんでもない手間だろうに。私の所に研究者さん方が来た時は、エレメンタリースクールの子供たちでもわかるレベルの資料に思わず目を疑ったものだった。
「……ふふっ。」
横たえていた体を起こして机の上にある資料を見て笑みが零れた。ファイルに入れ直して、鞄に仕舞う。少し崩れた髪を直して身嗜みをチェックして、そして、スマホロトムが着信を告げた。
「はい、チャンピオンですよー。」
「……あんなにチャンピオンって呼ばれることを嫌う貴女が一体どんな風の吹き回しです?」
「オリーヴさんだけですよ。」
「はぁ……面会の許可が取れましたので、ご報告に。」
「はい、行きます。」
「本当に行かれるのですか?チャンピオン自ら行かれることはないのでは?」
「私は彼と約束したんです、貴方の手段を潰す代わりに、貴方の夢を叶えますって。」
「あのプラントで?」
「そうです、まぁ……勝負どころじゃないってきっと彼も分かっていたでしょうけど、全然集中してないって。」
だから、私が行くんです。と随分前に涙で濡らした手記が入っていることを確認してアーマーガァタクシーを呼び出した。
「さぁ、ガラルの未来の進捗を伝えに行きますよ。」
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完結。
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